代表者より

上新庄LIVEHOUSE39、淡路LIVEHOUSE感謝
代表の満野和敏です。

まずはじめに、

やる気がない方、音楽が好きじゃない方、
みんなで楽しもうと言う気持ちがない方の
出演は固くお断りしています。

僕がライブハウスを作ったのは音楽が大好きで
上新庄や淡路と言う街が大好きで
音楽と言う素晴らしいものをこの街に根付かしたかったからです。

色々な人達と出会い、その人達が楽しんで成功していく。
そのような場所を僕は作りたくてライブハウスを作りました。

出演者が楽しめるように音響や照明、ステージを常にこだわり
出演者の皆様が気持ちよく使っていただけるように
スタッフ一同心がけています。

出演者が色々な人の前で演奏して、お客様は出演者から元気をもらい
出演者はお客様を始め色々な人達から元気をもらう。

そして、出演者は色々な人達が見に来てくれるように
腕に磨きをかける。そしてまたステージに立つ。

お客様はそれを楽しみにライブを見に来る。

出演者と見に来てくれたお客様が一緒に楽しめる
ライブハウス作りをおこなっています。

僕は音楽が大好きだからライブハウスをやっています。

僕のコンセプトは「笑顔で成功する。」

出演者が笑顔で成功してほしい。

音響や照明やステージが出演者の援護射撃となり
出演者の喜びが増えるように。

出演者がステージで最高に輝く為に
スタッフ一同一緒にステージを盛り上げる。

僕達はいつも出演者と同じステージに立っている
そんな気持ちでやっています。

「出演者が最高に輝くように。」

いつもこの思いでライブハウスをしています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

上新庄LIVEHOUSE39、淡路LIVEHOUSE感謝 

代表 満野和敏

 

 




LIVEHOUSE39 秘話。

 

「17歳。死にたいねん」


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僕は10代の時は自分で何でも出来ると思っていた。
17歳で自分はやり遂げたと

これから先は面白い事は無いだろうと思っていた。
だから友達には口癖のように

「俺はもう死にたいねん」

と、こればかり言ってました。

そしてそのような事ばかりを言っていたある日
ケンカをしていた友達と仲直りをするために
仲裁役の友達と僕とケンカ相手と会ったのです。

それで仲直りをして仲裁役をしてくれた
友達の家に行こうという話になったのです。

友達は先に行き、僕は後を追う形で
原チャリに乗ったのですが
いつもエンジンがすぐにかかるのに
その日に限ってかかりませんでした。

だけど何度かエンジンをかけているうちに
エンジンがかかり慌てて後を追いました。

その時です。

 

僕は車にはねられて意識不明の重体になり
そのまま病院に運ばれました。

 

そして何日かたったある日に目をさましたのです。

僕はその当時やっていた「アリよさらば」というドラマが好きで
矢沢永吉さんが先生役をしていたのですが
矢沢永吉さんが僕の肩を叩きながら僕の名前を呼んだのです。

何度も何度も僕の名前を呼ぶので
目を覚ましました。

その声は矢沢永吉さんではなく
看護婦さんの声でした。

色々な人が慌ててかけつけてきて
僕はなんとなく状況をつかめました。

自分は事故をして入院をしていたのだと。

奇跡的に意識は回復しましたが

その後

言葉が喋れない。
言葉が理解できない。
文字が読めない。
カラダが動かない。

色々な困難な状況がありました。

毎日リハビリをして
前の状況まで回復させようと
毎日一生懸命リハビリをしました。

また前のように
音楽がしたいから。

思うように動かなくなっていた体が動くようにと
毎日一生懸命リハビリをしました。

だけど握力も低下し指も思うように動かなくて
前のようにギターも弾けなくなっていました。

 

いつも出来てた事が出来ないなんて・・・。

 

悲しくて辛くて涙が止まらなかった。

 

だけどその状況をくつがえすぐらい
感動した事が自分に起きた。

 

俺の為に千羽以上の鶴を友達みんなが
折ってくれてたり色紙をくれたり

見舞いに来てくれた友達が泣いてた。

周りのみんなが俺の為に泣いててん。
みんなが俺の姿見て喜んでくれてん。

ホンマに嬉しかった。

身勝手な行動ばかりしてた俺やのに
みんなが涙を流して喜んでくれてん。

みんなに心からありがとうと思った。

だから俺は自分の出来ない事ばかりを見ずに
自分の今の状況を楽しもうと思った。

みんなの涙が嬉しかったから。
みんなの想いが嬉しかったから。

みんなと一緒に生きたいから。

ただこの想いでいっぱいやった。

みんなの励ましのおかげで
生きてたら今の状況
巻き返せると思えた。

だから俺は思った。

 

「みんなと一緒に
いまを生きたい」。

 

その後リハビリを行い回復し
日常生活も行えるくらいに回復しました。

あの時は本当につらかったけど

あの状況があったからこそ
人の優しさやご飯を食べれる事のありがたさや
生きてる喜びを感じたと思っています。

だからあの事故は自分の中で
最高の出来事やったと
今では僕は思っています。

「その経験がいづれ自分の
チカラになる時が必ず来る。」

「今の経験は自分を育てる為の土台作りやから。」

「その経験が自分を活かす状況を生み出すから。」

「大丈夫思う気持ちが大事やで。
明日は自分の味方やねんから。」

 

色々な人の励ましの言葉で
自分はここまでこれたと感謝しています。

仲間に出会えたから今の僕があるから
この場を借りてこの言葉を伝えたい。

 

「俺と出会ってくれてホンマにありがとう。」

そして自分はこう誓いました。

 

 

「死ぬまで生きる」

死ぬ最後の瞬間まで生きる。

この話を10年ぶりくらいに会った先輩と話をして思い出し
先輩が命の恩人である事も知りました。

僕が意識を少しだけ戻した時に

先輩の名前を何度も何度もうわごとのように
呼んでいたそうです。

それで家族しか入れない病棟に先輩は入り
体中色々な線が繋がっていて意識の無い僕を見て
すごく辛かったみたいです。

それでも僕が先輩の名前を呼んでいるので
僕が意識が戻るまで先輩は毎日毎日
病院に来て話しかけてくれていたそうです。

その話を聞いてすごく嬉しく感謝の気持ちがわきました。

「人は一人では生きてはいけない。」

「死ぬまで生きる」

その言葉をまた強く心に思いました。

自分が知らないところで人に助けられている。

「感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。」







「暗闇の先に見えた光。」

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そして僕は事故後も
プロミュージシャンになると言う夢を追って
音楽を続けていました。

21歳くらいの時にプロになれると言う話がきたりしたのですが
何故か急に相方とうまくいかず解散したり途中で話が流れたりして
どうしていいかわからないまま音楽を続けていました。

だけどその後は特にいい話も無く25歳で音楽をやめると決めていたので
25歳の誕生日の日にギターをケースにしまい
音楽をやめました。

その後、自分はひたすらバイト三昧でした。
だけど 気持ちは常に空虚で何をしていいのかわかりませんでした。

自分は何をしていいのかわからない。

どうしたいのか。

その事ばかりを考えているうちに何もかもが嫌になり
一度田舎に帰ろうと思い田舎に帰りました。

そして墓参りをした時にビックリしたのです。

自分が音楽を続けていくという気持ちを込めた
タトゥーを彫っていたのですが

そのタトゥーには三日月と音楽に一生を捧げると彫っていたのですが
その三日月が家の家紋だったのです。

父と母が離婚していたので田舎にはずっと帰っていなかったので
父の家の家紋の事は知らなかったのですごくビックリして
親戚の人にその話をしたら
音楽の家系だと話をしてくれました。

僕はその事を知らなかったので
自分は気付かないうちにその血を受けついでいると思い
大阪に帰りまた音楽を始めました。

すると何故か自分が尊敬していたミュージシャンと出会ったり
色々なめぐり合わせがあってライブハウスをするという話になったのです。

そしてみんなにライブハウスをすると話をしたら
その場所はやめといたほうがいいとたくさん言われました。

けど今ここでやらなければと自分は思い行動しました。

 

その後色々な状況を乗り越え今に至るのですが
自分が行き詰った時に原点に帰ると
道しるべが見えると僕は思いました。

流れのままに焦らずに思うように行動していこうと思いました。

 

ライブハウスをやり始めて一年くらいたってから気付いたのですが
実家が引越しをすることになり自分の部屋を整理していると
ひとつの看板が出てきました。

 

僕は昔、酔っ払うとカラーコーンや住所の看板を
移動させてしまう癖があったのですが(笑)
家まで持ち帰った看板がひとつだけあったのです。

その看板をずっと部屋の片隅で飾ってたのですが

それを良く見るとライブハウスの住所の看板でした。

僕はすごくビックリして自分が知らないとこで

自分は何年も前からライブハウスを持つ事を
知っていたのだと驚きました。

偶然ではなく必然である状況。

この出来事を大事にしていく。

39を開いてから色々な人の笑顔に出会いました。
みんなとの出会いに本当に感謝しています。

「みんながいてくれたからどんな困難も乗り越えられた。本当にありがとう。」

これからもみんなを応援し、みんなが喜んでくれるような事を
やっていきますのでこれからもよろしくお願いします。

みんなありがとう。

LIVEHOUSE39 代表 満野和敏

 




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